2020年1月1日水曜日

新春のごあいさつ

次女の手作りおせち
新春のおよろこびを申し上げます。

昨年は公私にわたり大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。

去年の夏、皆さまに議会へ送り出して頂き
約半年が過ぎました。

2度の定例会を経験し、勉強不足を痛切に感じています。また、議会のふしぎに悩まされています。
ですが、本来のノーテンキな性分をフルに活用して前を向き、勉強を重ね、市民の皆さまとの交流を重ねていきます。

街角で言葉を交わさせていただいた方、お手紙やお電話でご意見お寄せくださった方、ありがとうございます。 
お困りことやご意見等ありましたら、遠慮なく声をかけてください。
面談もしています。

2020年のお正月は、娘の作ったおせちでスタート。

不器用極まりない私は、議員となり、パート職員に出ていた頃よりも家事をこなすことがかなり難しくなっています。

この冬休みの間に、自宅のデスクや床やあちこちの棚に散らかっている書類や新聞記事の整理がしたくて、今年はおせちを作ることが難しいかもと、長女と次女に「作ってみたら?」と声かけという強いお願い^^;をしてみました。

長女は発熱してしまったので、17才の次女が買い物も夫と行って、2日間かけて作ってくれました。15才の長男も次女の助っ人に入っていました。
ありがとう。心もお腹もふっくらしあわせです。




「大丈夫」は魔法の言葉
〜各自の感性と持ち味をいかした
「その人らしさ」の絶対的な価値観が大切だ〜
今日の記事は、中日新聞にあった読者の投稿記事です。
見出しは「大丈夫」は魔法の言葉、に魅かれて読みました。

私は幼いころ、スパルタで書道を学んでいて、大人になってもお手本通りに書かないといけないと思い込んでいました。
そうなると、お手本通りに書けなければうまく書けていないということになります。
でも、お手本通りに書けるわけがない。
なぜなら、人は一人一人違うから。
そして書、文字の魅力は、その違いにあるから。

私が長い間身に付けてしまったお手本通りでなければという悪いクセは、今の教育や社会の生きづらさ、息苦しさと、通じていると思います。
他人や大人、教師の物差しとの比較ではなく、そこに忖度するのではなく、自分で自分らしさを見つけられて、自分を認めてあげる力が備わっていること、そこではじめて、人は自分らしく生きられ、自由になれると思っています。

去年は、ネット配信が進みませんでした。
パソコン操作もネット社会も苦手です。
多くの方にブログはいつ見ても前と変わっとらんぞと、フェイスブックで投稿してくださいと、ありがたいことに、度重ねて叱咤激励の声をいただきました。

今年は、ブログの更新からがんばります。
議員らしくとなると書けなくなってしまうので、自分らしくがんばってみます。

私が議員を目指した根本にある思い。
誰もがありのままで生きられる社会に!
そのための政策提案と市民活動に取り組んでいきます。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆さまにとって良い一年でありますように。